永代橋

永代橋について

「永代橋は、元禄年間に「深川の大渡し」に代わって架けられ、佐賀町付近(現在の佐賀一丁目付近)が昔、永代島と呼ばれていたため、永代橋と名付けられました。 橋の両際には、広小路を設けて橋番屋が設けられ、高札を立て、武士、医師、出家神主以外の通行人から橋銭を取る有料橋でした。 上流の清洲橋の女性的な優美さに相対し、男性的な重量感を持っています。
  現在の橋は、1926年に架けられたものです。1897年に、道路橋としては日本で初めて鉄が使用されましたが、床が木製だったため関東大震災で焼損し、震災復興橋として現在の姿となりました。
(永代橋近くにある看板より)

住所:東京都江東区佐賀一丁目1

永代橋は、東西線「茅場町駅」と「門前仲町駅(700m先)」の中間地点にあります。
バス停(都バス)「永代橋」「佐賀一丁目」からはそれぞれ徒歩2分程度です。

リバーシブルレーンとは


 永代橋は、車道5車線分とそれを挟んで左右にそれぞれ歩道がある非常に幅の広い橋です。橋の長さは、184.7m。橋の幅は、25.6mあります。 この道は、「永代通り」といいますが、橋にはリバーシブルレーンという交通規制がかけられています。
 リバーシブルレーンとは、渋滞緩和のために中央線(センターライン)の位置を時間帯によってずらし、交通量が特に多い方向の車線を特定の時間帯のみ増やす交通規制のことです。
 (Wikipedia「リバーシブルレーン」参照)
 
永代通りは、平日の夕方から夜間に東行きを1車線増やしています。
 具体的には、右側の写真をご覧下さい。上の写真では○○×××となっていますが、下の写真では○○○××となっています。真ん中の1車線が増えていることがわかります。
 ちなみに、車線が変わる時間帯は、というと、参考までに下記に記載します。
 ▼平日
  07:00~18:00  ○○×××
  18:00~21:00  ○○○××
 ▼日曜・休日
  07:00~21:00  ○○×××
 ▼※
  21:00~07:00  ○○-××(中央1車線通行止め)

中央大橋

 
 東に向かって(茅場町から門前仲町方面へ)歩き、橋の真ん中で右側を振り返ってみると、高いビルがそびえ立っているのが見えました。
 「佃(つくだ)」や”もんじゃ”で有名な「月島(つきしま)」方面です。
 中央に写っている高いビルの右側には、橋が架かっていました。中央大橋(ちゅうおうおおはし)です。
   永代橋からはおよそ600m離れた場所にあります。

この他にも、下記の通り、隅田川には多くの橋が架かっています。

永代橋から橋の名前次の橋まで
6500m白髭橋(しらひげばし)~1200m~
5300m桜橋(さくらばし)~0450m~
4850m言問橋(ことといばし)~0600m~
4250m吾妻橋(あずまばし)~0250m~
4000m駒形橋(こまがたばし)~0500m~
3500m厩橋(うまやばし)~0400m~
3100m蔵前橋(くらまえばし)~0850m~
2250m両国橋(りょうごくばし)~0850m~
1400m新大橋(しんおおはし)~0600m~
0800m清洲橋(きよすばし)~0450m~
0350m隅田川大橋(すみだがわおおはし)~0350m~
0000m永代橋(えいたいばし)~0600m~
0600m中央大橋(ちゅうおうおおはし)~0550m~
1150m佃大橋(つくだおおはし)~0850m~
2000m勝鬨橋(かちどきばし)

日本国重要文化財

 永代橋は、日本国重要文化財に指定されています。指定されたのは、およそ6年前の平成19年6月18日です。
 また、「永代橋は、関東大震災復興事業によって建造され大正15年(1926年)12月に竣功した」そうです。

現存最古のタイド・アーチ橋

 永代橋は、日本ではじめてスパン100mを超えた橋であり、しかも現存最古のタイド・アーチ橋だそうです。
 タイド・アーチ橋(左下図)とは、弓のように、支点部同士を引張部材(タイ)で結び、水平力を伝達させる形式の橋をいいます。
 支点部に大きな力は作用しないため強固な基礎は必要とせず、地盤の軟弱な都市部などでの長大アーチ橋架構を可能にしているそうです。
(Wikipedia「アーチ橋」より)

永代橋周辺

 永代橋周辺には、ビルが多く、様々な会社のオフィスが並んでいました。
橋には日よけになるものがないため夏の暑い日には日差しが強く、冬の寒い日には川からの風により一層冷たい空気となって顔に吹き付けてきます。 春や秋にオススメな場所です。